1993-11-09 第128回国会 参議院 商工委員会 第4号
しかし、これは戦争が済むとぱったりなくなって、今度は学童服とか作業服とかそういうものをつくり始めたわけでございます。したがって、その辺の転換は非常にスムーズだった。 しかし、今度の戦争の後でそういった需要も見込めなくなりまして、ファッションに転換した。
しかし、これは戦争が済むとぱったりなくなって、今度は学童服とか作業服とかそういうものをつくり始めたわけでございます。したがって、その辺の転換は非常にスムーズだった。 しかし、今度の戦争の後でそういった需要も見込めなくなりまして、ファッションに転換した。
それから、いま、もう一つの問題ですが、これは早急に手を打ってもらいたいのですが、学童服ですよ。これは中学生の標準服がいま新学期を、入学を目の前にして二五・六%高く買わなきゃならないのです。この学生服まで北海道価格になったのではぼくは話にならないと思うのです。大臣は距離が遠い、流通の関係があるのだろうと言うのだが、大臣、それじゃ九州価格がありますかと、私は何回もお尋ねするのはそこなんですよ。
生活保護の中で次は教育扶助でありますが、学童服は小中学校に入学したときに一着支給するようでありますが、その後の支給はない状態では、はたしてこれでまかない得るのかどうか。それから第二番目に、通学用品はカバン、かさ、長ぐつ、雨がっぱなどがとうてい買えない状態になっているのじゃないか。三番目に、したがって参考書等はもちろん買えない。四番目に、PTAや学級費は払えない。
○今村政府委員 いま御指摘の諸点でありますが、第一点の問題は、普通の一般の生活保護以外の家庭、これにつきましても、エンゲル係数の逆数ですから、普通ならば学童服も一応月々入っておりますが、そのほかに臨時に金が要るということで、小学校一年、それから中学校というときに学童服を支給するという制度にしております。
あるいは品質を示す用語の使い方が混乱しているために品質の識別が著しく困難なもの、たとえば既製服の学童服等で何才用だとかいうようなことが書いてありますが、その何才用の寸法自身も、これは各業者によってまちまちでありますために、ちょっと見ただけではわからないというようなことを考えておることであります。
それからこれは文部省に直接関係ないけれども、教育に関係あるのですが、洋服の学童服です。これは一体生活保護の子供に幾らやると文部省は思っていますか。六年の間に何者くらいと思っていますか。
○高田(正)政府委員 新しく学校に入るような場合には、学童服等を一時扶助で考えておるはずでございます。修学旅行や運動会の場合という仰せでございますが、これはただいまのところ生活保護法では考えておりません。修学旅行につきましては、文部省の方でたしか何らかの措置が講ぜられておるはずでございます。
それで、書かれてありますことの発端となりましたのは、三月の二十二日の午後の四時ごろに、職員の不在中に、寮舎の被服倉庫の鍵をくぎでこじあけまして、部屋からレインコート、学童服上下、靴下五足、白靴、帽子等を窃取して、うしろの窓をあけて逃走いたし、青梅駅から無賃乗車をいたしまして、新小岩駅で下車して、友人の家に一泊をして、二十三日に自宅に行きましたけれども、母親から注意をされて、学園に帰るために百五十円を
そういたしますと、自分のものをさらにこれ以上作れば生産過剰になって物価の低落を来たすからこの程度にしよう、しかしながら、自分はさらに経済力がありさらにもうけたいということになりますと、二次加工、三次加工、たとえば工員服を作る、学童服を作る、もって全国に大宣伝をする。東洋紡におけるダイヤ・シャツしかりであります。
学童服は渡っておりました。ランドセルの問題につきましては、この間申し上げましたようなことで、大蔵省との話し合いも済んでおりませんので、今のところ、それを回すというところに参っておらぬわけでございます。
昨年交渉のときには、この中に三百万ドル分の綿花が含まれることになっており、これで学童服百八十万着分が予定されていたのでありますが、アメリカ側は、アメリカの恩恵をたっぷり日本の児童、父兄に植えつけるために、全部完全に無料で配給し、製造費等は日本政府が受け持つことを最後まで強く要求したので、話がつかず、綿花三百万ドル分は小麦の方に回されたいきさつから見ましても、アメリカが何をねらっておるかが、はっきり見抜
○説明員(吉良秀通君) 仰せの通り第一次協定第三条には、千二百万ドル分の脱脂粉乳、小麦、そのほかに三百万ドル分の棉花を受け入れるという原則的の了解ができておりまして、この細目について両国政府が取りきめるということになっておりまして、細目の取りきめの交渉をやっておったのでございますが、その三百万ドル分の棉花を受け入れれば、わが方は学童服をこしらえ、これを学童に配給しようという計画でございましたが、棉花
○藤野繁雄君 それから第一回分は、最初学校方面のは学童服を無料で配給する、こういうふうなことになったのが、無料配給が中止になったのが現在の状況である。どうして学童服を無料でやることをやめられたのであるか、その理由を伺いたい。
でありますから、学童服にいたしましても、いわゆる加工賃の問題で今日まで流産になっておりますが、いわゆる粉乳と一緒に綿花を日本へただでやる、そのかわりにアメリカ自身の腹の中では、その作った加工賃は日本に予算を持たして、でき上った既成品というものを持っていって、メイド・イン・ジャパンとでもギフト・オブ・アメリカとでも入れるということならば話の解決はつくのであります。
最近まで学童服もただでくれる、くれぬの問題、それに対する加工賃の問題もありましたが、これをアメリカがなぜ日本に無償配給しておるかということに対して、大臣はどういうふうな理解をされておられますか、この点について知っておるとか、知らぬとか、イエス、ノーでけっこうであります。時間がございませんから簡単な御答弁を願いたい。
そうしますと、約百八十万着の学童服ができるわけでございます。その百八十万着の学童服を作る内訳としましては、三百万ドルのうちの約半分を加工費として米側が日本側に認めることを交渉したわけでございます。しかるに米側としましては、三百万ドルのうちの半分を加工費として認めることは非常に困難である。ことによその国との先例等もありまして、日本だけに認めることは非常に困難である。
○湯川政府委員 綿花三百万ドルは確かに載っておったのでございますが、その綿花を加工して学童服とする、その加工費の問題でなかなか日米間の意見が一致いたしませんでしたので、いろいろ検討した結果、綿花をやめまして、その三百万ドルをば小麦及び脱脂粉乳に振りかえた、こういう措置をとっております。
計画に大きな影響を及ぼさないように、今後再びこういった事柄が行われないように対策を考えたいと思っておるわけでありますが、さしあたって来年度の給食の計画につきましては、ただいま並木さんからおっしゃったアメリカの余剰農産物の贈与分のうち、綿花につきましては、いろいろ米国との交渉の結果、難点が相当ございましたので、これを給食用の物資に振りかえることにいたしまして、綿花については、綿花及びそれらを製品化した学童服
今御指摘の通り給食の分につきましても、学童服につきましても未決定でございますが、これは昨年きめました際に、その内容に立ち入ってきめておりませんでしたが、その後アメリカ側からそういうようなことを言って参りましたので、今折衝中で、もう少しできまるようなことになると考えております。
○柳田委員 綿花を売って、その売った金で学童服の既製品を買って、そうして学童に配給されようとするのですか、どうなんですか。
かれましたが、このことに対して何か向うと話し合いになってきましたか、この問題は、元来吉田前首相が昨年アメリカへ行かれたときのおみやげだというが、そうじゃない、これは駐日米大使館におった農務担当官のラヂエンスキーと、それから米本という日本におけるミシガン大学の同窓生の間で、ビキニの水爆によって非常に反米思想が強い、何とかここで日本人の反米思想を緩和するためによい手がないかというので、それならば子供に学童服
○小林説明員 最近米国からの覚書によりますと、全部の学童服を無償にするようにということを強く言って参っております。文部省といたしましては、従来二部分を無償にし、他の大部分は相当安い値段で買ってもらうというような考えでやっておったのでありますが、これを全部無償にするということになりますと、実は非常に巨額の金がいるわけでございます。
余剰農産物の無償贈与の問題で、先ほど文部大臣から御答弁がありましたが、十一月ごろまでには目鼻がつきやせぬかと思うが、今のところ、前国会の末ごろの事情とは変ってかなり予定が狂ったのだ、こういうお言葉でありましたけれども、私たちが心配しますことは、学童服はともかくとして、いわゆる七千トンのミルク、それから八万トンでしたか、小麦粉の問題、これが入るものなりという仮定のもとにおいて本年度の学校給食の教育計画
その後綿花の問題、学童服の問題、すべて余剰農産物の無償贈与の分の教育に関係のあるもののその後の御様子を一つ御説明願いたい。
○政府委員(正示啓次郎君) 学童給食は御承知のように学校給食会というのがございまして、こちらでやることになりますが、学童服につきましては文部省当局におかれまして目下その経営といいますか、配分の責任主体をどういうふうにするか御検討中のように伺っております。
次に綿花でございますが、これはやはり学童服を今回新らしくこれによって給付しよう、非常にこれは安い値段で学童服を給付できるようになったわけでございます。
○藤野繁雄君 そうしますというと、今の綿花の学童服というのは一定の生地で、同じところの形の服を作ろうというような御計画でございますか。
また学童服その他裏毛服、それから婦人子服地、その婦人子服地をとりまぜて作った服等々でございます。こういう次第でございまするので、私は最後にここに申し上げておきたいことがございます。 繊維の歴史は非常に古いのでございまして、言語的転化となり、これが常識化されている面があるのでございます。ときにこれが固有名詞とも相なっておるのでございます。綿で作っても毛布というのでございまして、綿布とは言いません。